日本の中では、「国際化社会で通用する人材」「グローバルに活躍する人材」等々と言われるようになり、ずいぶん経ちました。
会社では、「英語力がある人」の方が、昇進やお給料などの条件がよかったり、就職に有利だったりということもあるでしょう。
また、子どもの教育の中でも、英語の占める割合がどんどん大きくなっています。
子どもを持つ親の人達の中でも、将来我が子が日本の外でも活躍できるように、と、子どもに英語力をつけさせたいと考えている人は多いようです。
子どもの英語教室や、英語教育を取り入れている幼稚園などは、とても人気のようです。
多くの人は、「世界の中で通用する人間になるために、英語力が必要だ。」と考えていると思います。
確かに、英語ができれば、日本語しかできないよりは、ずっといいでしょう。
今や英語は、世界80ヶ国以上で、国語や公用語として使用されています。
それ以外にも、公用語ではないものの、多くの国の都市部では英語がかなりの割合で通じると言われます。
英語ができれば、海外での生活も困らない!
仕事も得られる!
どこの世界の人とも対等にコミュニケーションできる!
そう考える人は多いかもしれません。
しかし、本当にそうでしょうか???
私自身も、日本に住んでいた頃は、「英語力」をそんなふうに考えていました。
しかし、実際に西オーストラリアにやってきて、それは間違っていた、と思うようになりました。
それはなぜか・・・?
日本で英語を学びたい、と思う人や、子どもに英語を学ばせたい、と思う人に、ぜひ読んで一緒に考えていただきたいこと、です。
「英語力」はスキルにはならない
私自身がパースに来て、こちらの社会で暮らしてみて、思ったことがあります。
当たり前のことですが、「英語が話せる」ということは、英語圏で暮らすには必要不可欠なことです。それに、流暢に話せれば、もちろんそれは話せないより、ずっと大きなメリットです。
でも、英語圏で仕事を得て、英語圏で生活して行きたい、と思った時。
「英語を話せる」ということは、自分をアピールするためのスキルと成り得るでしょうか?
私自身の答えは、NOです。
というか、それは自分がどんな分野で活躍していくか、によると思いますが。
たとえば、英語を話すこと以外に特別なスキルやPRポイントがないのであれば、英語ができるということはそれほど大きな武器にはならないでしょう。
たとえば、カフェやレストランの店員さん、スーパーのレジ打ち、品出しスタッフ、、、などの仕事をやるとしたら、やはりそういう仕事を求めているローカルの人達はたくさんいます。
英語を話せることは、英語圏では「当たり前」であって、スキルでもなんでもありません。
英語ができて初めて、スタートラインに立つことはできます。英語で流暢に会話ができ、読み書きも高い能力があれば、有利に働くことはあるかもしれません。
でも、どう考えたって、ローカルの人の方が有利ですよね。
特に、外国人としてその国に留まって仕事を探すのであれば、それだけで不利になります。その国の国籍のあるローカル住民が雇用が優先されるのは、考えればすぐにわかることです。
それが、『海外で暮らす』ということでもあります。
「英語ができる」ということが海外で生きるための武器になるとしたら、通訳や翻訳、あるいは英語や日本語の教師などの道があるかもしれません。
が、それは「英語が話せる」どころではなく、専門の高度な知識や技能を、長い年月をかけて培っていく必要があります。
多くの人はこれらの仕事を、「日本語と英語の2カ国語が話せれば、誰でもできる」と軽く考えるかもしれませんが、そういうものではないと思います。
海外で生きるために必要なのは、技術?
では、海外で生きていくためには、何が必要なのでしょうか?
一番大切なことは、「自分は何ができるか?どんな技術を持っているか?」ということだと私は思います。
そういうと多くの人は、よほど超人的な、他の誰にもできないようなスゴイことができないと、海外では通用しない・・・と考えるかもしれません。
「金メダルでないと意味がない」
「一位でないとアピールできない」
そうイメージする人は多いのではないでしょうか?
でも実際は、そんなことはありません。
オリンピックで金メダルを取れるレベルでなくちゃ、「特技」って言えない?そんなことはまったくない。
「海外」と言っても、「世界」と言っても、人が住み交流する範囲は、限られています。
その中で多くの人が「得意じゃない」「なかなかやりたがらない」「できない」ことができればよいのです。
つまり、自分が住む地域で、人からの需要があり、しかも供給が少ないもの。そういうことができれば、そこで「必要とされる」可能性はグッと高まります。
たとえば、私の住むパースでは、日本食がたいへん人気です。
そのため、日本食レストランでは、頻繁に厨房仕事の求人が出ています。
もちろんシェフの仕事は楽なものではありません。
が、日本で最高級の和食料理人でなければ仕事がないか、といったらそんなことはありません。
ある程度の腕があれば、後はやる気や情熱だったり、雇用主との相性だったり、そこの職場で腕を向上させてよい仕事をしていけることが、働き続けるにはむしろ重要なポイントだと思います。
そうなった場合、逆に高度な英語力は必須ではなく、しっかり意思疎通できるくらいの英語力があれば十分、ということになります。
このように技術がある場合、オーストラリアではどのくらいの英語力があればやっていけるのか?ということについては、こちらの過去記事をお読みください。
「技術」とは?大切なのは自分が好きなことかどうか。
こうした「技術力」と言うと、「=資格を持っている」と思うかもしれません。
もちろんそれも重要なことですし、スキルの証明になります。
でも、どんなに資格を持っていても、それが必ずしも海外で役立つとは限りません。
海外で仕事をしていくことも、生活していくことも、時としてキツイ場面もたくさんあります。
たとえば自分が興味ないことで一生懸命資格を取ったとして、やはりその仕事が「好き」で「自分に合っている」ことでなければ、長く続けるのは難しい。
ましてや、その仕事を慣れない英語で、慣れない生活環境の中で、やっていけると思いますか?
やはり自分が、情熱を持って取り組んでいける分野でなければ、海外でがんばっていくことは難しいと思います。
あなたにとって、自分が本当に好きなコト、自分に合っていると思えるコト。
それは、なんですか・・・???
人の役に立ってこそ、「技術」
もう一つは、どんなに自分が好きで得意なことでも、周りの人々が求めていないことをいくらやっても、誰の役にも立たない、ということです。
自分の自己満足だけでいくら特殊なことをやっても、それは仕事にはならない。
自分の得意分野を生かして、どうやって周りの人の役に立てるか?それを考えることが必要です。
言い換えれば、
「どうやって、この場所で人々の役に立てるか?そのために、自分の特技で何ができるか?」
ということを考える必要があります。
自分の得意なことを生かして、こんなふうに人々の役に立てる、というビジョンを持つことが大切ではないでしょうか。
特に、その得意技が、「言葉」に関わらないものであればあるほど、世界のどこに行っても通用する可能性が高まります。
英語を学ぶことは、自分の特技をより広い範囲の世界で役立てるために、必要なツールなのです。
自分の特技をどこでどう生かすか、というビジョンが明確なら、それを満たすためにどのくらいの英語力が必要か?ということも自然と明確になります。
まとめ
日本では、一般的には、大学を卒業し、企業に就職する人が多いでしょう。
その後、転職をする人もいるかもしれません。
私が新卒で就職した20年前は、転職はまだまだリスクだと言われました。今は少し時代が変わっているかもしれませんが。
私達は就職するまでは、とにかく大切なのは「学歴」と教えられてきました。いわゆる、「いい大学に入れば、いい会社に就職できる」。
とにかく受験科目にある「5教科」でよい点数を取ることが、イコール「社会で有用な人材となるための能力だ」という証明です。
まあ言ってしまえば、私達は学校教育の中で、そんな価値観で育ってきました。
そして社会に出て、今度は会社では、与えられた仕事を忠実にこなす。
それが「デキる社会人」と言われます。
会社のしくみを壊さず、「雰囲気」を乱さず、上司の機嫌やプライドを損ねず、指示をきちんとこなすこと。
もちろん、それも大切なことではありますが・・・。
私自身も、新卒で就職してから結婚し、出産するまで、会社員生活を経験しました。
会社員時代に出会い、仕事場で私を育ててくれた周りの人達には感謝しています。
でも、私はその中で、「私はどんな人間で、何が得意で、何が苦手で、どんなことで社会の役に立てるのか?」なんてことを考える必要はありませんでした。
むしろ、そんなことを考えるのは邪魔でした。ただ与えられた仕事をしていればよかった。
私は「〇〇会社の▽▽部の××さん」であれば、立派な社会人だったのです。
その後私は日本で、最初の子どもを出産した時に仕事を辞め、専業主婦になりました。
それ以来、どこに行っても私は、「●●さんの奥さん」だったり「●●ちゃんのママ」だったりしました。
私は誰と出会っても、「自分」という人間をアピールする必要はありませんでした。
むしろ、「私は〇〇が得意です」なんてアピールしたら、「目立ちたがり」とか陰口を叩かれていたかもしれません(笑)。
日本では、周りに合わせることや、目立たないことが、とても重要です。
でも、海外では違います。
私達日本人が、さまざまな言語や文化やライフスタイルを持つ人々の中にポーンと出て行った時、「黙っていても誰かが声をかけてくれる」というのは間違いです。
最初は興味半分で声をかけてくるかもしれませんが、しばらくすれば、すぐに飽きられます。
そこで存在し続けるには、相手に対し、「自分はどんな人間で、何が得意で、それがあなたやこのコミュニティにとってどう役立つか」を常に語れるように、準備しておかなければなりません。
世界のどこでも生きて行ける人間となるためには。
多くの人は、世界に出るためには英語力が最も必要だと考えていると思いますが、本当に必要なのは、超スペシャルでなくてもいい、自分はこれが得意だ、と言えるものを持つこと。そしてそれが周りの人にどう役立つか、という、周囲とのつながり方を考えること。
私の周りには、パースでさまざまな形で生計を立て、長く暮らしている日本人の人達がたくさんいますが、皆さんここがすごくハッキリしていると感じます。
日本に住むみなさんにも、考えてみてほしいことです。