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海外では英語が下手でも高い技術があればOK?英語の必要性とは。

海外で仕事・移住

近年、海外に住む芸能人や、海外で活躍する日本人がよく話題になりますね。たとえば、今年NYに拠点を移し、日本と行き来しながら活動している、芸人の渡辺直美さん。アメリカのメジャーリーグで長年活躍し、今年引退が話題になったイチロー選手……。

オーストラリア在住者の中では、オーストラリア・メルボルンのサッカーチームに所属していた本田圭祐選手が話題になることは多かったと思います(今季終了と共に退団となりましたが)。

同じ日本人として、こうして海外で活躍する日本人の存在は、やはりうれしいし、勇気づけられるものです。彼らは必ずしも、最初から英語ペラペラなバイリンガルであったわけではありません。

そんな中、スポーツアートパフォーマンスなど、言語がメインでない分野の場合、抜群の技術・個性・実力があれば、英語がそれほどできなくても世界で通用するのでは?と考える人もいるかと思います。

確かに英語はできればいいけど、「できないとダメ」という程のものでもないのでは?

大切なのは「何ができるか」であって、英語力よりもそっちの技術を磨くべきでは?

と。

 

そんな議論の中で私が個人的に興味深かったのが、ちょっと前に話題になったこのニュースでした。

日本フェンシング協会、代表選考基準に「英語力」取り入れ 「基本的な日常会話ができる」条件|毎日新聞(2019年4月25日)

日本フェンシング協会、代表選考基準に「英語力」取り入れ 「基本的な日常会話ができる」条件 | 毎日新聞
 日本フェンシング協会は25日、日本代表の選考基準に「英語力」を取り入れると発表した。競技実績があっても英語の試験で一定の結果を出さないと代表には選ばない。審判らと意思疎通を図る助けになるほか、現役引退後の第二の人生で国際的に活躍するために役立つとしている。東京五輪後の2021年から導入する。

手短に紹介すると、日本フェンシング協会は、日本代表を選ぶ際に「英語力が低い選手は、たとえ競技が強くても代表には選ばない」という方針を発表したんですね。

このニュースには、私が見た限りだと、SNS上では懐疑的・否定的な意見が多かった印象です。

「フェンシングをやるのに、なぜ英語力の判定?」

「フェンシングがうまいことが大事なんじゃないの?」

という感じで、「日本代表の選考に英語力が問われる」ことが一般的には受け入れられていない印象でした。

 

スポーツや美術系など、言葉がメインでない分野ならば、「高い技術があれば英語ができなくても世界で通用する」という意見が、日本では多数派なのかもしれません。

けれど、実際にそれは本当でしょうか?

「スキルが髙ければ、英語力はそれほど必要ない」は本当???

この記事では、私自身が英語圏で暮らす中で感じたことを、書いてみたいと思います。

 

美術やダンスなら、英語力がなくても認められる?

たとえば、美術・デザイン系や、ダンスなどのパフォーマンス系はどうでしょうか?視覚的な美しさや素晴らしさは、言語を越えた感性であり、世界共通で受け入れられます。

才能があれば、英語ができなくても認められるでしょうか?

私自身の意見から言うと、認められるケースもあるかもしれませんが、海外を拠点に長く活躍していくことは難しいのでは、と思います。

私の娘はこちらのローカルハイスクールに通っていて、今年で卒業(!)です。卒業と同時に、オーストラリアでは成人になります。

娘は12歳でこちらに来た時、英語が全然できませんでした。そこから今までの道のりは、英語環境で英語を使っていくこととの闘いだった、と言っても過言ではありません。

娘は絵を描いたり作品を作るのが好きで、学校のアートの授業ではいつも先生方から良い評価をいただいていました。やはり、日本人らしい「器用さ」「細部まで気を配った丁寧さ」「エキゾチックな表現(和っぽい)」を認めていただいており、制作では高い評価を取っていました。しかし、アートの評価では筆記試験(英語)もあり、そちらで思うように点が取れず、総合で評価が下がってしまっていました。

また、娘は学校の選択科目でダンスを取っており、そちらもとても頑張っていて、意欲や振付に対するアイデアなど、先生方は高い評価をしてくださっていました。しかしダンスでも、例えば自分の振り付けに対して「言葉で説明をする」筆記テストがあったり、ボディマネジメントや、(ステージに上がる前の)緊張に対するメンタルケアなども学習し、知識を記述するテストもありました。そうした英語表現の部分で点が及ばず、総合評価に影響していました。

しかし、継続的な英語の学習を通して、英語力が上がってきて、それにつれて全体的な成績が上がり、美術もダンスもより高評価を得られるようになったのです。

このことからわかるように、美術でもダンスでも、作品で自身のアイデアを表現するだけでなく、それを言語化する、ということが、評価の場では大変重要なことだと私は思いました。しかしたとえば、仕事として作品を作るとなったら、クライアントにプレゼンしたり、インタビューに答えて自分の作品を解説することも必要でしょうし、ダンスの指導や振付をする時も、一つ一つの動きを言葉で説明する必要があるでしょう。

そう考えれば、「言葉で説明する力」の大切さがわかりますよね。

特に英語社会では、自分の行動、表現について、『なぜそうしたのか』『どんな根拠でそうしたのか』をきちんと説明することが重視されていると思います。

また、ダンスでもアートでも、継続的な活動をしていく中では、コラボレーションという機会が出て来るでしょう。一つの作品を作り上げ世に出すためには、自分以外にもさまざまな人が関わってくることもあります。そんな時、言葉でのコミュニケーションは必要不可欠です。言葉で自分の考えを伝えたり、相手の意見に対して反応できないと、チャンスを逃してしまう可能性もあるのではないでしょうか。

 

ITエンジニアは英語力がなくても海外で働ける?

あるいは、海外に転職しやすい職業として、プログラマやディベロッパーなど、ITエンジニア系の仕事がよく上げられます。実際に、ITエンジニアは、オーストラリアでは、日本人に限らず移民が割と仕事を得やすい職種と言われています。プログラミングのスキルは、言葉関係なく、世界共通です。今は世界的にITエンジニアが不足していると言われており、人種や国籍関係なく、優秀な人材が求められているのは、本当かもしれません。

では、ITエンジニアとして優秀ならば、英語ができなくても認められるでしょうか?

プロとしてITエンジニアで働くならば、クライアントの要望を理解し、どんな機能を作るか、を考えなければいけないし、設計したアプリケーションについて自分のチームメンバーやユーザに説明する機会があるでしょう。どんなにエンジニアとして優秀でも、クライアントが求めるものを作らなければ意味がないし、チーム間での意思疎通ができなければ、仕事としては認めてもらえないでしょう。

私自身も、現在、アメリカのIT系オンラインコースで勉強を続けていますが、その中で、課題のプロジェクトを完成する必要があります。その時、提示された仕様を理解したり、自分の書いたプログラムについて文章で説明したり、ということは求められます。技術的なことも大切ですが、「英語の説明を正しく理解する」「自分の作ったものについて英語で説明する」、ということが、とても難しいな、と感じます。

 

現在学んでいる教材の中で、C++というプログラミング言語の作成者であるBjarne Stroustrupが、インタビューでこんなことを言っていました。

「今の時代は、プログラマ同士のコラボレーションがとても重要になっている。他の技術者とアイデアを交わし合うためには、英語は必要不可欠だ。私自身も英語は母国語ではないが、こうして英語を話している。だから(プログラミングを学ぶみなさんも)英語を勉強してください。」

スキルを学ぶのはもちろん必要。その上で、そのスキルを生かして仕事や活動をしていくためには、自分の内面と外の世界をつなげ、スキルを可視化させる力、すなわち「英語力」が必要なのだろうと思いました。もしも日本の外でやっていきたいならば、英語でコミュニケーションをすることは避けて通れないと言えます。

英語を学びながらプログラミングを学ぶ一人として、とても感銘を受けた言葉でした。

 

英語ができないことで不利になる場面はある(残念だけど)

技術があれば、実力があれば、言葉が話せなくても認めてもらえる、というのは、そうであってほしいけれど、現実はそんなに甘い話でもないのかな、と私は思います。

海外に住んでいる人ならば、誰でも経験はあると思います……。たとえば、言葉がうまく話せないために、話をちゃんと聞いてもらえなかったこと、失礼な態度を取られたり、無視されたこと。相手の言うことがちゃんと理解できなかったために、損をしてしまったり、選択肢が与えられなかったこと……などなど。

もちろん、英語が下手でも相手をしてくれる優しい人達は多いですが、必ずしもそのような状況ばかりではありません。

どんなにスキルがあっても、優れた面があるとしても……。「自分という人間」を言葉で伝えられなければ、それは認めてもらえないんだなぁ、と私自身はしみじみと思う時があります。言葉でのコミュニケーションがうまくいかないことで、タイミングを逃したり、チャンスを失ってしまったり……ということは、海外に住んだことがある人ならば、一度や二度は経験したことがあるのではないでしょうか。

「英語が話せないハンデを実力で補う」のではなく、「実力を発揮するためにこそ英語を学ぶ必要がある」のだと痛感します。

おそらく、世界で継続的に活躍している人々は、そのことを実感しているのではないか、だからこそ必死で英語を学んでいるのではないか、と思います。

 

どのくらいの英語ができればいい?

とはいっても、個人的には「ネイティブレベルでないといけない」とは思いません。たとえば、日本人なまりの英語がハンデになるとは思いません(ただし、ある程度の流暢さや発音の正確さは必要かな、と思いますが)し、スラングを知らないからダメ、というわけでもないと思います。

ただ、英語環境で自分の力を発揮したい、というのであれば、自分の専門分野においては、考えや出来事、事実を的確に伝えたり、逆に人の説明を正確に理解できる英語力は必要だと思います。そのため、その分野でよく使われる英単語や英語表現は、しっかりと覚えた方がよいと思います。

また、会話だけでなく、読み書きも同じくらい重要です。文法は間違えてもOKですが、ある程度は知っておいて、使えるようになるとよいです。たとえば、if文仮定法は、使い方によってニュアンスが変わります。また、関係代名詞は意外とよく会話に出てきますが、文法をしっかりマスターすることで、長めのセンテンスが正確に理解できるようになります。

日常会話や、海外ドラマに出てくるようなペラペラのスラング英語は、しゃべれたら確かにステキです(笑)が、そうならなければダメ、というわけでないと思います。ただ、自分の専門分野で使う英語表現を覚えることは、とても大切だと思います。

 

まとめ

ところで、冒頭のフェンシングの件については、『「英語テスト」の内容が、フェンシングという競技で求められる英語力にマッチしているか』という点は議論の余地があるでしょう(私にはわかりませんが)。ただ、国際舞台での活躍を目指すスポーツパーソンなら、英語力は身につけた方がゼッタイに有利!だと私自身は思います。というか、英語力も実力の一部、と言っても過言ではないと思います。単発の競技だけを見れば、そこで勝てさえすればよいのだから英語力は必要ないのでは?という考えもあるでしょう。が、自分のやりたいことをやって、長く活躍することを目指すならば、英語ができることで得られるものは大きいはず。日本ではできない経験をするために海外に拠点を移すとか、海外の人とコラボしたりコネクションを作るなど、世界の中でポジションを確立する選択肢ができます。

今は機械翻訳の精度も上がってますし、また「通訳」をつけるなどすれば、英語ができなくてもいいじゃないか、という考えもあるかもしれません。もちろん利用できるツールは駆使して、自分の置かれた状況で最大限にコミュニケーションを図ることはとても大切です。

しかし、英語圏に住んでみて思うのは、やはり「自分の言葉でコミュニケーションする」ことは、機械や人に翻訳を頼むことでは換えられないものだ、ということです。日本語をそのまま機械的に訳しても、場面によって必ずしも自分が伝えたいことが伝わるとは限りません。このような「場面」では英語でこう「表現する」という知識が必要になります。それは、機械的な翻訳ではできないことではないでしょうか。

また、会話においては、タイミングや、相手との間の取り方の影響も大きいです。ゆっくり話を聞いてもらえる場ならいいですが、試合や議論のように早いテンポで物事が進む時、自分の言いたいタイミングで言いたいことが言えるかどうか、は、結果に大きな差を生むかもしれません。

これは、もちろん英語だけではなく、どんな言語でも当てはまることです。が、今のところ英語は「世界の共通語」としても使われていますので、多国籍の場では「英語」が使われることが多いでしょう。英語の勉強は、決して無駄になりません。英語以外の分野で活躍したい人にこそ、英語の勉強を薦めたいです!

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