英語の勉強法については、私がこうして書くまでもなく、ネットにはさまざまな意見があふれています。
その中でも、「学校で英語を勉強してきたのに、日本人は英語をしゃべれない」と多くの人が感じていることから、
「学校で習う英語=文法は、覚えても意味がない」
「文法を学ぶからいけないんだ、文法なんてこだわらない方がしゃべれるようになる」
「文法よりも、とにかく聞いて覚えてしゃべる、これが大切」
という人もいます。
一方で、
「文法は必要に決まっているでしょ」
という人もいます。
いったい、どれが本当・・・?
ということについて、考えてみたいと思います。
私が、「文法を学ばなきゃ」と思ったわけ。
まず最初に私の意見を述べますが、私自身は、文法を学ぶことは大切だと思っています。
いや、とっても大切だと思っています。
私自身が海外生活を始めることになって、「英語を話せるようになりたい!」と思ったし、今も思い続けていますが、私が目標としてきた英語は、
色んな人とコミュニケーションできる、社会の中で生活する大人としての英語
でした。
言葉と言うのは、自分のことをまったく知らない人に、『自分が何を必要としていて』『どんな問題を抱えていて』『何を解決しようとしているのか』を伝える手段です。
そしてまた、相手のそれを理解する手段です。
相手のことをよく知っていれば、ある意味カタコトでも、ツーカーみたいな感じで理解できることはあります。
でも社会の中で暮らしていれば、そうではない人に、事情を適切に説明しないとならないことが、本当にたくさんあります。しかも、限られた機会であったり、時間であったり、という中で。
特にオーストラリアでは、私は外国人。誰も私のことを知らないし、私の生活習慣も、国の文化も、誰も察してはくれない。「英語を話せませーん」とアピールしても、相手にとっても私とコミュニケーションを取るには、とにかく英語を使うしかないんです。
以前も書きましたが、私の最初の英語は、とにかく単語、単語、単語。
文がうまく言えなくて、単語の羅列でした。
で、相手も何とか、それで意図を汲み取ろうとしてくれます。
たとえば、
と単語を並べた時に、
- 「(これから)シティへ行く(行こうとしている)」のか?
- 「シティへ行きたい(と思っている)」のか?
- 「(いつも/時々)シティへ行く」のか?
- 「シティへ行ったことがある」のか?
と、ハッキリしません。だから相手は、シチュエーションなどから察して、色々と返事を返してくれるでしょう。
その土地に不慣れな旅行者だったら、それで十分といえます。最初のうちはそれでも切り抜けていけます。
でも、社会生活の中で対等にコミュニケーションする、という意味では、やっぱり不十分なのではないでしょうか。
少なくとも私は、その時にちゃんと、
「(今から)シティに行くところです。」
と、言えるようになりたかったのです!
単語がわかるようになったとしても、それをどう組み立てたら、物事を正確に表現できるんだろう?
- これから ~する、という時はどういうの?
- (さっき/昨日/週末)~した、という時はどう言うの?
- ~したことがある、という時は?
- ~するかもしれない、は?
- ~すればよかった、は?
- ~した方がいい、は?
- ~するべきだ、は?
- ~してもらえますか、は?
- ~してもいい、は?
- ~したらどう?は?
・・・という疑問が、きっと湧いてくるはず。
こうした疑問に答えてくれるのが、文法です。
英語の先生に言われたこと
私の英語の先生は、パースで多くの日本人に英語を教えて来ました。また、自身も日本語を学び、日本に留学した経験もある先生です。
日本人が学ぶ英語のことや、日本人が「英語ができるようになりたい」という時にどんなことを求めているか、よく知っています。
その先生が言っていました。
日本の人達は、たとえば
『おつかれさま』って英語でなんて言うの?『うらやましい』って英語でなんて言うの?
っていうことを知りたがる。もちろんそれも大切だし、教えるよ。
でも本当は、文法をしっかり学ぶことの方が、本人のためになるんじゃないかと思ってるんだ。
だって、「日本語のこの言葉を英語でどう言うの?」ってことは、ただ覚えればいい。
辞書だってネットだって、自分で調べることができる。
でも、自分の考えを、英語でキチンと言えるようになることが、本当は大切なんでしょ?だからせっかくお金を払って英語を習うなら、そういうこと - 文法をしっかり理解することの方が、その人のためだと思うんだよね。特に大人が英語を学ぶ時にはね。
そうなんです、語学の経験があり、外国人に英語を教える立場の人から見て、文法を学ぶことはとても重要ということです。
その先生から教えてもらった、「本当に英語を話せるようになるための効果的な勉強法」は、こちらの記事をお読みください!
学校で文法を学ぶとなぜ話せなくなってしまうのか。
では、なぜ学校の勉強ではあんなに英文法をきっちり学ぶのに、英語が話せるようにならないのか!?
と思う人もいるでしょう。
それについては、以前に書いた記事を読んでいただければと思います。
英文法を学ぶこと自体が間違いではなく、学んだ英文法を実際の会話の中で使う機会がない、ということは大きいと思います。
また、文法のルールをすべてマスターしようとしたら、キリがありません。
まず話さなければならない状況にある時、たとえば、
過去のできごとか?今起きていることか?未来に起きる予定のことか?
といった、時間を正確に表すこと(時制)は、会話の中でとても重要な要素です。
一方、“I got a balloon. “と言うべきところを “I got balloon. “と言ってしまったり、“She knows it. “というところを “She know it. “と言ってしまったり、“I bought five apples.” を “I bought five apple.”と言ってしまったとしても、相手が意味を理解できずに困ることはないでしょう。
もちろん、ネイティブが聞いたら不自然に思うかもしれないし、ちゃんと正しく使えるように気をつけることは、大切だと思います。私もちゃんとできるようになりたい。
でも、コミュニケーションを取るという目的を考えれば、時制の方が重要性はずっと高い、ということがわかると思います。
けれど、日本の学校教育の中では、すべてが同じ重要性で扱われますよね。
テストでは、時制を間違えても、a と the を間違えても、どちらも同じ「間違った英語」として評価されます。
それで私達は、文法の一つ一つをいっぺんにすべて完璧にやろうとして、何も話せなくなってしまう・・・。
話すためには、まずは自分が「こういうことを伝える時は、どう言えばいいんだろう?」と考えること。そしてそれを言い表すための文法トピックから学ぶと、興味を持って取り組めると思います。それがその人にとって重要度の高い文法だといえます。
まとめ
大切なのは、文法「だけ」を学ぶんじゃなくて、へたくそでも間違えても話す練習。それと並行して、「文法」の知識を身につけて、それを取り入れて話す練習。
それらを続けていくことが、結果的に「英語を話せる」ことに近づいていくと思います。
では、そんなふうに文法を学んでいくために、自分でできる勉強は?どんな文法書を使ったらいいの?おすすめは?
…と思う方には、私自身も愛用している、ケンブリッジのGrammar in Useという本をおすすめしたいです。
世界中の英語学習者に使われる有名な本であり、独学で学べるような工夫もたくさんあります。
詳しい本の内容については、
こちらの投稿をぜひ読んでください。